改めて、日々の取り組みについて

◎癖を薄めていく

 

改めて、書いておきます。

 

身の回りのことや目の前のことで、先送りにしていたりため込んだり、考えなしにのんびりやっていることがあれば、翌日に持ち越さないでできるものは、気づいたところから早めに取り掛かっていくといいと思います。

 

知恵を使って効率的にできていたり納得しているのなら、それはそれでいいのですが、力の出し惜しみをしているだけなら、ちょっと考え方を変えてみてはどうでしょうか。

 

なるべくいまは力をつけるためと思って、目の前のこと、身の回りのこと、日々なんとなく気になっていることや先送りにしてきたり、誰かのせいにして手を付けずに来たことなど、積極的に取り組んで解決していくといいと思います。

 

思い込みに気づいて変えていくためには、目的をはっきりさせ、現実を踏まえて地道にひとつひとつ取り組んでいくことです。

 

そうすることで、思い込みという考え方の癖は薄まっていきます。

 

 

 

◎負荷とは

 

災難にあって負荷を負うことが振り分けではなく、負荷を負ったなかでどう自分が判断して行動していくのか、それによって自らの運命を決めることが、振り分けとなります。

 

災難にあったからディセンション方向に向いている、ということではありません。

 

振り分け自体、自らが行っているのです。

 

ただ、大きな節目として区切っていくことを、あちらの世界の存在たちが取り仕切っているため、時節を伝えるということをしてくるのでしょう。

 

本来「負荷」とは、そのときに対応できるレベルのものであり、しかもそれを克服することで地力がつくものです。

 

負荷として感じるカルマは、生きづらくする自分の考え方に基づいて行われたことの結果です。

 

自分がやったことが自分に返ってきたことで、自らの課題に気づいて改めることにより、地力が養われて成長していくものです。

 

よりよくという方向性を出している人は、責任転嫁して不満をもらすのではなく、自分で向き合って解決していくことにより、地力をつけて成長する方向性を出した取り組みとなるのです。

 

 

 

◎これまでとは違って

 

これまではこういう理屈で考えていればよかったのですが、いまは状況が変わってきています

 

そのとき対応できるレベル」かどうかは、今回が総決算で次回に持ち越せない以上、その人が取り組む課題として、残りどれほどのカルマを持ち越しため込んでいるかによって変わります。

 

そのとき対応できないレベル」もあるということです。


いつの時代でも同じですが、考えなしにがんばることでなんとかなっていくのではなく、よく考えて判断しながらがんばらないと、これからはどうにもならないことがどんどんでてきます

 

ものごとの優先順位や能力もあるので、明日できることは明日やればいい場合もありますが、いまはできる限り力をつけるように全力で精いっぱいやることそのときの自分なりの判断でいいので、その日にできることはなるべく持ち越さないで、力を出し惜しみすることなくやっていくことです。

 

そうすることで、自分を知ることができるようになり、できるもの/できないものが自覚できるため、例えば、できないものに執着し続けて不安になる、そんなことが減っていきます。

 

きっちりきっちりやろうとすると、自分をせばめることになるから、とひろかねさんから言われてこともあります。

 

まずは気づいたところから、取り組むようにしてみてください。

 

 

 

◎余談

 

先日感じた黒い巨大な龍は、改めて意識を向けてみると、その影が白い雲のようにさらに上空に映し出されていました。


上位の世界からやってきたなにかというよりも、私たち集合意識かなにかの反映が、その正体なのではないかと考えています。