災害に際して

◎対処

 

台風15号が来る前にやり取りした内容から感じたことです。

 

「災害が来るよ」ということは、いまさら改めて伝えることではなくなった

 

災害発生はいつあってもおかしくないという時期にはいっている

 

・それにどう対処するか、が大事

 

・これまではのんびりやっていてもなんとかなることがあったが、いまでは早めに適切に対処しないと、どんどん締め付けが強くなる

 

・生きやすさを求めるなら、復旧はもちろん大事だが、被害にあわないなりの準備は、もっと大事

 

・ここでの準備とは、それまでに小出しに戒めや警告としての経験をしてきたことがあり、それを踏まえて繰り返さない改善としてなされる準備のこと

 

 

 

◎なにが当たり前か

 

思い込みとして、「災害は起きなくて当たり前」「自分は大丈夫」という方は、その思い込みに気づいて変えていかないと、今後自然災害などが激しくなるほど、よりいっそう苦しくなるのではないでしょうか。

 

その思い込みがあることで、初動が遅れ、責任転嫁して行動がおかしくなる分、手遅れになっていきます。

 

そうした生き方では、ぼやいたり腹をたてたり、恨んだり憎んだり、不満がたまります

 

ありのままを認める、とか、よりよく生きる、後悔しない生き方、などからは離れていきます。

 

エゴのチェックとコントロールを繰り返し、自分の特別視を減らす取り組みを続けてきていれば、できる中でできる最善を考え行動します。

 

これでだめなら仕方ない、そう思えるところまであきらめずにやるため、後悔することも不満がたまることも減っていきます。

 

 

 

◎「難しい」の一言が

 

人との関係や日常生活の中で生じる思いや感情の動きを観察して、言葉や行動に現れる歪みに気づいて変えていくことで、大難を中難に、中難を小難に、小難を無難に、自らの運命をよりよく変えていくことができます。

 

それを、大難をいきなり無難にできると思い込んでいるからなのか、こんな当たり前のこと、なにかあったときにやればいいや、と高をくくっていると、いざというときに無意識の思い込みに押され、呑まれ、そのレベルに応じた難になるのです。

 

「難しい」という言葉は、やらない人ほど口にするのだそうです。

 

やる人は、「どうやったらそれができるのか」で考えるため、難しいという言葉にならないのです。

 

この世界では、自らの運命は行動によって変わります

 

「難を減らす」というのは、「難しい」という言葉を減らすほど、なされていくことなのかもしれません。

 

なにか解決策を考えるとき、誰かからアドバイスをもらったとき、「それって難しいですよね」と安易に口にしていないか考えてみてください。

 

 

 

◎余談

 

昨日、家族で出かけた際に車を運転していたところ、不意にはるか前方の上空に黒い中型の雨龍がいる感じがしました。

 

場所は日本の南、太平洋の沖合上空といった感じです。

 

その龍に意識を向けると、じっとこちらをまっすぐに凝視しています。

 

このままこちらに向かってくると、どんどん大きくなって、けっこうな災害になる感じがしました。

 

そして少し気になって、他にもいないか感じようとすると、そうした存在が各所に点在していました。

 

気になったのは、千葉の南、静岡から名古屋にかけて、あと紀伊半島。

 

その他にもありましたが、とりあえずこれらがその時は、被害をもたらす可能性が高いものとして感じたのでした。

 

今日になって再度確認してみると、こちらを見ていた存在は、そっぽを向いたように顔を横に向けているため、とりあえずすぐにどうこうということはなさそうです。

 

しかし、そこで待機しているだけなので、いつ動くのかはわかりません。

 

台風に限らず、深刻な被害をもたらす大雨が、これからもあると思います。