連なる体験と気づき

昨日と今日

 

昨日家族で近所に出かけて散歩していた時のことでした。

 

唐突に1~2秒の一瞬のことでしたが、自分は自分として自分が感じている世界の中心であることがわかり、エゴがなにをやっているのか、客観的に感じられるような感覚になりました。

 

しかし、そのあとすぐにいつもの状態に戻り、知識や体験として覚えていることもあり忘れてしまったものもある、という状態になりました。

 

抜き打ちのお試しだったようですが、なにか気づけず漏れてしまっている感じがしたので、あとで何度もその時の感覚を思い出しながら考えていたのですが、先日の覚醒体験も思い出しながら考えていると、今日はまた異なる感覚の世界に入っていきました。

 

覚醒体験自体は、上の意識が働きかければ誰にでも起こりうると考えています。

 

ですので、体験をしたかどうかよりも、その人がその体験に対してどういう判断をしたのか、どう気づいてどのように理解できたのか、その後の行動がよりよいものに変わったのか、ということがその人にとって大事だと考えています。

 

特殊な体験をしたんです、すごかったんです、では、時間の経過とともに日常生活のなかで忘れていってしまい、意識レベルはほとんど上がることはないでしょう。

 

はまだ途上ですので、足りないところ、できないところ、わからないこと、気づかないことなどが、いくつもあります。

 

個人的な体験ですが、ここを見てくださっている方たちのヒントになることもあると思いますので、今日その時感じながら考えたことを書いておきます。

 

 

 

体験と考えたこと

 

存在するものはすべてつながっており、自分のやってきたことが、その繋がりを通してすべて返ってきます。

 

自分は自分、そういう意識でいたとき、自分そのものからいろいろなものが発せられ、返ってきます。

 

全部自分がやったこと。

 

自分が思い、判断して、行動に移し、全体のどこかをめぐって返ってくる。

 

どれも自分のやったことです。

 

自分を自分の中心にしっかり据えて、そのことを何度も繰り返して考えていると、自他の境目は薄くなり、全部自分であるかのような感じになりました。

 

すべては一つであり自分である。

 

思い、考え、判断し、行動して、巡り、返ってきて、受け止める、自分のやったことと認める。

 

自他がない状態では、それらが全体であり一つである私の中でつながった状態で起こっています。

 

一つの繋がった状態ですので、そこに時間差は感じられず、すべてはいまここにあり同時に起こっている、そういう感じでした。

 

今の私が全肯定を感じると、こういう感覚だった、という感じがしています。

 

ここまで考えた時、お試しについては「OK」となりました。

 

他の表現をすると、全体に溶け込もうとする感じ、ともいえます。

 

しかし、溶けてなくなるわけではありません。

 

溶け込もうとすると感じることで、そのままさらに自分が溶けてなくなるのではないかと考えてしまいそうですが、観察を続けていると、無くなることはありませんでした。

 

今日はここまでで終わっています。

 

 

 

真理について

 

ひろかねさんにそのことを話すと、

 

・エゴじゃない考え方がある

 

・それは、エゴであってもできること

 

・それができている時は、エゴがない状態といえる

 

・エゴは3次元意識

 

・エゴじゃない考え方もできるから、上にいける

 

・別の考え方ができるから、上にいく

 

・このエゴじゃない別の考え方が真理

 

・真理に基づいてやったことは、歪みが少ないものが返ってくる

 

・それを繰り返していくことで意識は向上し、覚醒するということもある

 

とお話ししてくれました。

 

普段話してくださっている事はこうしたことですし、それを踏まえてブログに書いてきたことも、そうした考え方です。

 

私の学びもまだまだ続きます。