連なる災害

地獄とも思える光景

 

年内に地獄とも思える光景を目にすることもあるだろう

 

それは世界のどこかとしておけばいい

 

どこで起ころうと

 

なにが起ころうと

 

いずれ関係なくなることもある

 

自らを特別に扱うことはできないのだから

 

くり返し起こる災害の間(はざま)で

 

気づくともなく気づく者もいるが

 

大半はそのことに気づくことなく

 

自らを陥(おとしい)れていくことになる

 

 

 

規模は小さくとも

 

誰も知らない

 

気づいていない

 

そうしたところで

 

次の災害は起き始める

 

次の災害は

 

より直接的なもの

 

個々によってさまざま

 

そのうちの一つは喘息症状の亜種

 

突発的に死ぬ人が出てくることもある

 

アレルギーのようでもあり

 

あまり薬が効くわけではない

 

蓄積した疲労が関係している

 

被災地も含めた各地で

 

そうした類のものが少しずつ出回るようになる

 

大きなものや深刻なものだけがおこるのではない

 

緩急つけながら

 

清算すべきものを清算していくことになる

 

今回は持ち越すことはない

 

すべてをきっちり解消するよう動いている

 

 

 

平常心を理解できていれば

 

言葉として下りてきたものではなかったので、もう一つのブログで「メモ」として残しましたが、節目がなにかあるような気がしています。

 

それが今日のように思えたのですが、数日ずれているのかもしれません。

 

あちらの計画の邪魔になるような場合には、影響を受けないよう明確に特定できないような伝え方をすることもありますので、ここ数日という事かもしれず、いまは様子を見ています。

 

あちらの計画というのは、常にいい選択肢があればそちらを選びとっていくようです。

 

災害にしても、それによって何を目的にしていたのか、その目的達成に際してよりいい選択肢がでてくれば、その災害を取りやめてもっといい結果がでる災害に置き換えてしまうこともあります。

 

すでに過去に予定されていた流れではない状況ですので、とにかくその場その場で次の展開を練り直しているかのようでもあり、その変更を私たちは結果を通して知ることになるのです。

 

ですから、いかなる状況であろうと自分がやることは変わらない、そう思える考え方が身についていれば、情報に振り回されることなく自分を生きていくことができます。

 

これまでお伝えしてきたことが理解できるようになればなるほど、その意味が分かっていただけると思います。

 

 

 

余談

 

いまこれを書き終えて読み返していた時に、

 

『あなたの役割もこれで一つ区切りになる

 

次の段階に入っていく』

 

といわれました。

 

具体的に何か変わらない限りは、あまり行動は変わらないと思います。

 

とりあえず、これは独り言のような余談として残しておきます。