手を差し伸べられている

 

タイトルは今日のブログの印象です。

 

地震や台風が続けて災害をもたらしていますが、この先もそうした災害はどこかで起こるでしょう。

 

河川の氾濫、という言葉が今朝もありましたが、それ以上は出てこないので、言葉だけ載せておきます。

 

食料については、冬や春から続く厳しい天候、西日本の豪雨、台風21号、北海道の地震などの影響で、今後厳しい状況に陥っていく可能性があります。

 

今起こっていることの先で、自分がどういう状況に入っていくのか。

 

今までにないことが起こっているのですから、いままでの体験をもとに想定しても、大して役にはたたないでしょう。

 

こちらのブログを通して伝えたいことが少しでもわかるのであれば、そのことを真剣に考えていただくといいと思います。

 

 

 

やったことがかえってくるだけ

 

次の災害の準備はできている

 

できているといっても、私たちが準備しているわけではない

 

多少の介入や調整はすることもあるが

 

あなた達の想念、カルマ、そうしたものが降り積もり

 

一定量を超えるから解消のために発現する

 

すべては因果応報の中で起こること



自由があるから

 

災害自体はなにかしら起こるようになっているから

 

今後取り立てて書く必要も無くなっていく

 

大規模なものに目がいきがちだが

 

中規模や小規模のものも当然ある

 

どれに関わるかはその人次第

 

どれを引き起こすかはあなた達次第

 

認められた自由の中で運命を作っているのは自分自身である

 

天国も地獄もない

 

自らが自由の中で選びそこにいる

 

そうありたいからそこにいる

 

思うように存在できているのだから

 

そこに優劣を持ち込むことは

 

ものごとを歪めて見ることになる



 

影響を通して知る変化

 

日本全体が同時に揺れるようなことも時にでてくる

 

これから食べるものに困る者もでてくるようになる

 

気候変動や災害による食べ物への影響や

 

流通の滞りが引き起こすさまざまなことが

 

経済をはじめとした身の回りの生活に

 

じわじわと影響を与えていく

 

本物しか残っていけない時代に入ったことを

 

だれもが身をもって知ることとなるだろう


 

己を知る

 

さまざまなことを通して

 

自らの成長を求められていたことを知った時

 

慌ててどうにかしようとしても間に合わないこともある

 

真剣に考え行動に移していればわかったことに対して

 

エゴで勝手な解釈をしていれば

 

できるものもできなくなる

 

その解釈に疑いを持つ必要がないほど

 

そもそもそこまで頭がいいのか

 

自分に疑問をもたないことに気づいているだろうか

 

所詮エゴである限りは

 

断片的な判断しかできないにもかかわらず

 

目にした情報を正しく判断できていると思い込むあたりからして

 

思いあがりも甚だしい

 

真摯に生きる

 

命を大事にする

 

それがどういうことなのか

 

いま一度考えてみるといいだろう

 

 

手にする可能性は

 

まだ結果はでていない

 

修正する猶予を手にしていることに気づけた者は

 

それをいかせた時

 

いまより少しはマシになるだろう

 

普通に生きる

 

このことの意味を考え理解しないことには

 

思いあがった行動は変わらない

 

先延ばしにした分だけ

 

一つの可能性がつよくなり

 

一つの可能性が消えていく