正しさについて 続の続き

カルマを増やさない考え方

 

判断がつかないものに対しては、「わからない」と素直に認めて無理に判断しないことです。

 

その後わかるレベルに達した時に考えれば、誤った判断は減ります。

 

真剣に考えてチェックしていれば、インスピレーションで気づくことも増えてきます。

 

無理に判断するということは、実力以上のことをしいているのですから、だいたい間違った判断になります。

 

間違った判断で行動に移せば、間違った結果がでるだけなので、生きづらくなるのは当然です。

 

カルマを増やさない生き方として、一度はご自身でもお考え下さい。

 

 

 

 

やるかやらないか

 

自分の取り組みの不足などを素直に認められれば、考え方や取り組みを改めることで、エゴを薄くすることができます。

 

ありのままを認められないのも、私たちエゴの特徴です。

 

こうしたところも、チェックしながらコントロールできるようになっていくことが重要です。

 

エゴのチェックをしなければそれは放置され、エゴを薄くすることなく自身が成長する機会をみすみす見逃すことになり、最後の最後で、「やらなかった」と自ら認めることになるのかしれません。

 

 

 

 

 

やる必要のないこと

 

私自身の経験として、ひろかねさんからの初めての電話でお話した時、電話を切った直後に「この人に話を聞け」というインスピレーションがありました。

 

その後、ひろかねさんから教えていただいたことを何度もブログで書き、いらした方には口頭でもお伝えしていたので、知識として知っている方はそれなりにいらっしゃったのでしょうが、いざBBS上でひろかねさん自身が書き込みをした文章を見た人達の多くは、判断がつかず否定的に捉えてしまったようです。

 

判断がつかないことは別に悪いことではありませんが、否定的に決めつけてしまう必要はありませんでした。

 

 

 

いまも続いている

 

こういう判断で自分の運命を決めてしまうのですから、命がかかっている以上の重大な局面であることに気づけると、もう少し考えて行動できた人もいるかもしれません。

 

「正しいものが正しいとわかるかどうか」という試験期間だったお話は、はじめのブログでも書いたことがありましたが、ようは「エゴを薄くする取り組み」ができていたかどうか、の試験だったということです。

 

その試験は、わたしたちエゴのみならず、みなさんの上位意識全てに対しても、いまなお問われ続けています。

 

 

 

←よければ、クリックをお願いします。

 

※今これを書き終えて感じたのですが、ここまでで一つなんらかの区切りのようです。

 

今後もブログは書いていきますが、どういう区切りなのか、今はまだわかりません。

 

区切りの意味はのちのちわかってくることもあるので、なにかお伝えできることがわかれば、その時にまたお伝えしていきます。